不妊治療~娘を授かるまでの記録~②B産婦人科編
おはようございます。ももです。
昨日に続き、不妊治療の記録第2弾です。
前回の記事はこちら↓
toyhime.hatenablog.com
約一年の治療経過です。
②B産婦人科での不妊治療の経過
でもB産婦人科にはその結果は分からないので、もう一度全てやり直すことになりました。
診療情報提供書をA産婦人科にもらいに行けば、免除できる検査もありました。
でも二度とA産婦人科には行きたくなかったので、全てもう一度検査することにしました。
B産婦人科には卵管造影検査の設備がなく、通水検査のみを行いました。
その結果、右の卵管は問題がないけど、左の方が通りが悪いと言われました。
その他には大きな問題が見つからず、排卵誘発剤を使用して、タイミングを取ることになりました。
まずは低温期にクロミッドの服用、排卵時にHCG5000単位の筋注、高温期にプロゲストンの服用。
それで数ヵ月様子を見ましたが、妊娠に至りませんでした。
そしてクロミッドをゴナピュール筋注に変更。高温期もHCG3000単位の筋注に通いました。
注射のための通院が頻回になり、フルタイムで仕事をしながら、片道一時間の通院は、かなりハードでした。
その間に3回卵管通水を行い、子宮内ポリープの除去手術も受けました。
卵管通水検査は卵管造影検査と同様に、地獄の様な痛みを伴うため、恐怖心から過呼吸になり、失神しそうになることもありました。
約一年間、B産婦人科で排卵誘発剤による不妊治療を受けましたが、妊娠は出来ませんでした。
そして、体外受精へステップアップするための転院を勧められました。
紹介先は、大学病院か、A産婦人科。
県内で体外受精に対応しているのは、そのふたつの病院だけなのです。
主治医には、大学病院を勧められました。
大学病院は平日の午前中しか診察がありません。
そのため仕事との両立は困難です。
不妊治療に専念するために、仕事を辞めることも考えた方がよいと言われました。
しかしすぐには決断が出来ませんでした。
大学病院に行くと、また初めから全部検査のやり直しになるのも、悩みのひとつでした。
もう卵管造影検査だけはやりたくない。
でもA産婦人科には絶対に行きたくない。
あんな病院絶対にいや。
でも、仕事も辞めたくない。
高額な不妊治療を続けるならなおさら退職するわけにはいきません。
なかなか転院先を決められずに悩んでいたとき、母親の病状が急変し、私は看病のために仕事を退職することになりました。
不妊治療に専念するためにも、よい機会だと思いました。
母が亡くなるまでの三ヶ月、不妊治療はお休みして、付きっきりで看病をしました。
そして母が亡くなり、半年間ゆっくりと休んだ後、不妊治療を再開することにしました。
選んだ病院は大学病院ではなく、A産婦人科でした。
つづく。
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