批判コメントを書く意味。
こんばんは。ももです。
昨夜に更新したこの記事↓
toyhime.hatenablog.com
たくさんのアクセスや応援のクリックをいただいております。
ありがとうございます。
この記事を書いたあとも、私なりに色々と考えることがありました。
今回私が他人のブログを批判するような記事を書いたことは、中傷ブログと同じように誰かを傷つけているのではないか?
騒ぎ立てるのではなく、そのままスルーした方が良かったのではないか?
世の中には無数の情報で溢れています。
その中からどの情報を選ぶかは、読み手の責任でもあると思います。
わざわざ不快なブログに対して騒ぎ立て、無駄な労力を使うことはスマートではありません。
どれだけネット上のマナーを訴えても、一部の他人を誹謗中傷して喜ぶサイトが無くなることはありません。
こんな時代だからこそ、読み手も自分に有益な情報を選別する力を養わなければならないのかもしれません。
そもそも、なぜ人はわざわざ不快だと思うブログを読みたくなるのでしょうね…?
不快に思いながらも読んでしまう人、きっと私だけじゃないと思います。
ドM?いやいや、私はMではないはず…(笑)
昨日拝見したあるブログに、興味深い事が書かれていました。
(偶然覗いたサイトなので、アドレスは不明)
「炎上サイトは、悪を成敗したい読者の気持ちに応えている」
そうだ!それだ!と、激しく納得しました。
私は自分のストレスや劣等感を、あえて不快なブログを読んで批判することで、自分の考えを肯定しストレス解消していたんだ!
炎上サイトって、ある意味うまく読者の心をつかんでいるんですよね。
実は私は一度、今回とは別のブログに批判的なコメントを書き込んだことがあります。
やはり妊活記事でしたが、ご本人は自虐ギャグのつもりで書かれた文章が、同じく妊活を真剣に取り組んでいる方への暴言に聞こえたのです。
一部の厳しいコメントではアクセス稼ぎ目的の炎上狙いだと非難されていましたが、私はそんなに悪質だとは感じませんでした。
よく言うと天然、厳しく言うと非常識。
そんな人ってたくさんいます。
自分の発言で誰かが傷つくということに、気がついていない人。
そんな人にはスルーするだけでなく、批判的なコメントも時に必要だと思ったのです。
批判することは、非難や中傷することではありません。
自分のコメントがきっかけで、その方がブログの書き方を見返すきっかけになってくれたら…。
おこがましくも、そんな風に考えての行動でした。
そのブログには、私の後にもたくさんのコメントが書き込まれました。
ほとんどが私と同じく批判的なコメントでした。
だけど、みんな同じことを伝えようとしているのに、書き方は本当に様々で…。
厳しいコメントが多い中にも、相手の気持ちに寄り添った優しさを感じるコメントもありました。
批判している内容は同じなのに、受けとる側の気持ちは全然違います。
正論をぶつけてダメ出しするのではなく、相手の気持ちを受け止めつつ、不快に感じる人の気持ちを上手く代弁する。
本当に素敵な批判コメントでした。
批判コメントも、相手への思いやりをもっていれば、悪いことばかりではないと思います。
世の中にはいろんな考え方の人がいて当然。
自分とは異なる意見を聞くことも、ブログでの繋がりの醍醐味です。
異なる意見を交換することで、お互いに視野が広がりプラスになることもたくさんあると思います。
「批判」というと、「非難」と同じように解釈してしまう方もいらっしゃるかもしれません。
今回私が使用している「批判」というのは、決して「非難」ではありません。
相手の考えを否定するだけが批判ではありません。
相手の意見に対して、自分の見解を伝える。
それを「批判する」と捉えています。
非難や中傷のコメントを認めるような気は、一切ありません!
やっぱり大切なのは、思いやりですよね。
顔が見えない相手にこそ、最上級の思いやりを。
それは書き手だけでなく、読み手も同じです。